【映画】「パレード」を観て
こんばんは。香りと直接関係ない記事なのですが、日々想ったこと、Twitterだとすぐ流れてしまうので今後は記録していこうかな〜と思ってます!よろしければお付き合いくださいませ!
今日は気になっていた映画「パレード」を観た、という話。
現代社会の表面的なうすっぺらい人間関係、一人は嫌だけれど他人に近づきすぎるのも嫌、自分を知られすぎるのも嫌、だけど誰かと一緒にいたい…。
あたりさわりなく居心地のいい微妙な関係を保って進んでいく、パレードの列を乱さないように…
ルームシェアする東京に生きる5人の若者が主人公なのですが、まさにルームシェアってその「微妙な関係性」がないとできない気がする。
知り合いでもしている人いるし他の国の人としたりするのは面白そうだし、否定するわけではないけれど、誰かに側にいてほしいけれど過干渉するな的なにおいがするのが個人的には結構苦手。
そして「ルームシェア」だけじゃなく、職場、友人、恋愛関係等にもこの『パレード』化は、かなりの凝縮具合ではあるけれど、実は現代社会で起きている関係性の縮図なのかも。
ラストシーンでこの5人の中にとんでもないことをしでかした人がひとりいて、でも全員気づいているのに見て見ぬ振り。
怖い、と思ったけれど、よく考えると全員がある意味「今のこの楽な関係」壊したくないが為の「共犯者」なのかもしれないと思った。
そして逆を言うなら、「楽な関係」で終わらせたくなくて「理解しあえる関係」を築くには、それなりのパワーと情熱が必要ということ。大切な家族や友人、恋人とは、多少の摩擦があったとしても、空気を読み合うのではなく、想いを丁寧に伝えあうということが大事。例えすぐには理解してもらえなくてもね。
お互いが理解しあえるまで話し合うって結構な労力。本当に嫌われてもいいから、これだけは伝えなきゃ…と思えるかどうか…そこが大きな分かれ道な気がする。そこまでコミットしたい、と思える人がいるだけ、これは幸運な事なのかもしれないなぁ。
そして自分の小さな世界を壊すためには、平穏な状態をあえて打ち壊す”声をあげること”が必要なんだなとも感じた。
この『パレード』という映画を香りで表すなら、コンクリートジャングルな灰色で無機質な新宿の夜のような香りかしら。